「校正の研究」の読書メモ
このページは,大阪毎日新聞社校正部編 (1929)「校正の研究」に関する自分用のメモです.
目次
第1章「校正とは何か」
文章の雰囲気を思い出せるように,第1章を載せています.
現代仮名遣いに改める,web用に改行位置や箇条書きに変更を加えるなどしていますので中で辞書を引いているところすら原文ママではありませんが,デザインやデータを中心に活動されている方にも少しだけ読みやすくなっているんじゃないかなと思います.
本文
大正12年9月1日,突如大地震が関東地方を襲うと,間もなく,おそろしい流言が伝わって来た.
引きつづいて起こる余震におびえていた人々は,血まなこになって,竹槍や,鉄棒や,日本刀を振りまわした.
そしてあやしい人影を見つけると,たちどころに,私刑に行ったのであった.
——このとき,もし東京の各新聞が,何よりもさきに復活しなかったなら,あるいは関東をあげて,殺人のちまたになったかも知れない.
しかし,不備ながらも新聞が続々と発行されたあとは,かれらを地獄の入口から引きもどした.
こうして,各社が再刊に必死になったのは,単に自社の利害というような小さい考えばかりでなく,血なまぐさい世相に驚いて,一刻も早く,その公的機関としての責を果たしたかったからである.
この新聞紙の復活は,印刷物の偉大な力を如実に示したものであった.
印刷物は世の光である.
この光あまねきところ文化がおこり,この光弱きところ文化がおとろえる.
政治,経済,法律,科学,文芸,宗教,その他あらゆる学問,あらゆる技術は,印刷術の力によって,今日のように盛んになったので,現代人は,もはや印刷物のない世界に住むに堪えないのである.
わずか両三日の間,新聞紙に接しなかった関東震災当時の出来事が,これを立証しているではないか.
印刷物の普及は,文化の向上をうながし,文化の向上は,印刷物の普及をもとめ,この2つが因となり,果となって進んでいく.
一口に印刷物といっても,名刺,伝票のたぐいからビラ,ポスター,パンフレット,写真,絵書もあれば,数千ページの書籍,日々百数十万部を発行する新聞紙もある.
その種類はすこぶる多い.
これを製版方法によって大別すると,凸版,平版,凹版の3つであるが,利用範囲の広いのは凸版である.
しかも,そのうち起源も古く,現に最も盛んに行われているのは活版術で,これが印刷業の根本であるともいえる.
活版術とは,簡単にいうと,手書きその他の原稿により,大小の活字を組合せて,原版のまま,または鉛版として,これにインキをつけて,紙その他に印刷する技術をいうのである.
その作業は,組版と印刷との2つにわかれ,組版はさらに文選,植字,差替,大組などにわかれる.
そしてこの組版の間に校正という仕事がある.
純粋の機械的作業である組版と印刷については,これまで種々の方面から,細密な研究が行われ,むかしの幼稚なおもかげさえとどめていないが,機械的の一面に,精神的の性質をおびる校正は,わが国において,まだ系統的に研究されたことがない.
しかも,この校正という仕事は,たとい素人の手でされようとも,専門家によって行われようとも,活版印刷上欠くことのできない重要な物である.
そしてよい印刷には,かならずよい校正をともなわねばならない.
形のよい活字,手際のよい組版,うつくしい紙,鮮明なインキ,これらの条件がそろって,巧みに印刷されたものを見ると,だれしもまずすがすがしい一種の美にうたれるであろう.
けれども,これを読むにいたって,活字の誤りが多く,字句や事実の上にも,誤りのあることを見出したなら,たちまち不快を感ずるにちがいない.
そこで,印刷にさきだって,組版の誤りを正すために,校正をする必要を生じ,校正者の知識と技能が問題になるのである.
まず,「校正」の字義を調べてみる.
言海
【校正】文字の誤りを比べ正すこと.
広辞林
【校正】印刷物と原稿とを引きあわせて,その文字の誤謬をしらべなおすこと.きょうごう.
【校正刷り】活版に組みたるものを校正するため,仮に刷りたる印刷物.
言泉
【校正】1. 文字の誤りを比べて正すこと.校合(きょうごう)2. 印刷物を原稿と対照して誤りを正すこと.校合(こうごう)
【校正刷り】校正するために,仮に印刷せるもの.試し刷り(ほん刷りに対して)
大字典
【校正】写本または印刷物などの誤りをただすこと.校合
字源
【校正】しらべ合わせて正す,主に印刷物又は在来の書物の誤りを正すにいう.校勘,校訂
ウェブスター・ディクショナリー
【校正者 proofreader】校正刷りを読み,誤りを正すもの.
【校正刷り proof】訂正や検閲に用いる活版の試し刷り.proofsheetともいう.
スタンダード・ディクショナリー
【校正 proofread】印刷のために校正刷りの誤りを正すこと.
【校正者 proofreader】校正刷りを読み,誤りを書き留めることを職務とするもの.
【校正 proofreading】校正刷りを読み,誤りを正す行為または職務をいう.
また,欧米各国で,一般に「校正者」の職務をどう見ているか,権威ある大百科事典は,つぎの解釈を下している.
ブリタニカ(イギリス)
校正とは,発行前活字に組んだ記事や,書籍を印刷するために,校正刷りの誤りを正す技術や職務をいう.
印刷所に属する校正者の特殊の特務は,筆者に校正刷りを示す前に,誤りを正すにある.
そして校正者は,活字工と筆者との媒介者であり,その職務は,技量に応じて変じ得るものである.
センチュリー(アメリカ)
校正者とは,校正刷りを訂正のために読むもので,その職務は,校正刷りの中の誤りを見出し,必要な変更を書き入れるにある.
批判的又は編集的校正者は,活字工の誤りを正すばかりでなく,原文の誤記を書き留め,指摘し,または原文をよくするために変更し,指示するものである.
校正者は,はじめ「印刷の訂正者 corrector of the press」といわれた.
この言葉は,今日も文学的または形式的の使用に残っている.
殊に訂正と同時に批判する人のために用いられる.
マイエル(ドイツ)
校正(Korrectur)とは,通常専門の校正者(Korrector)が,組版上のすべての誤りを正すことをいう.
すなわち,綴字,句読点,略字,引用句等,いやしくも間違ったところがあれば,これを訂正するものである.
それと同時に,校正者は各字間の
……優秀な校正者の資格としては,第一に博学であること,第二に多方面の教養を有すること,第三に眼が印刷物になれていて,どんなこまかな不整でも,見のがさないだけの熟練が必要である.
ユニヴェルセル(フランス)
校正者(correcteur)は,筆者と印刷者にとって,最も貴重な補助者である.
現に筆者,印刷者のうち,最も有名な人々は,つねに一致して校正者の功績を認めている.
すなわち,フィルマン・ディドー氏やペー・ラルース氏らは,校正者を目して,「最も大切な協力者」だといい,また,ヴィクトル・ユーゴーは,「天才の筆に一段の光彩を加えること」の極めて巧みな,これらの「謙譲な学者たち」に対して,正常な尊敬を払うことを,さげすみはしなかった.
事実また,綴字法や,印刷術に関する規定の適用をたしかにすることを責務とする校正者は,これらの諸規定を完全に知っているだけではなく,広汎で,かつ多様な学識をそなえねばならない.
こうしてこそ,校正者は,筆者の覚えちがい,間違った引用,誤字,不正確な句読点——一口にいうと,筆者の気のつかなかったあらゆる種類の誤りを補正することができるのである.
今や印刷物の洪水が,世界をひたそうとしている.
アメリカは何ごとにも大仕かけで,世界一を誇っているが,印刷事業の盛大なことは,まったく世界一で,イギリス,フランスなども遠くおよばない.
最近,1925年における同国の印刷物生産高は,22億6,963ドル(新聞紙をふくむ)の多額にのぼっている.
これにくらべて,昭和元年(1926年)のわが内地生産高は,わずかに1億5,805万円(新聞紙をふくむ)で,アメリカのおよそ29分の1にすぎない.
この生産高を,各同年の人口によって,1か年の1人あたりにすると
アメリカ 19ドル67セント 日本 2円61銭
になる.
かりに,わが国民が,アメリカ人のおよそ半額,20円の印刷物を必要とすれば,わが国1か年の生産高は,12億1千余万円になるはずである.
もとよりアメリカとわが国とは,富力において格段の差があるとはいえ,印刷業は他の商工業の対比よりも,すこぶる振るわない状態にあるのである.
それでも,昭和元年の生産高を,12年前の大正3年(1914年)の2,644万円にくらべると,およそ6倍の激増なのである.
一方,アメリカにおける同年と,1925年との比較増は,およそ3倍であるから,わが国は長足の進歩をしているといえる.
この点から考えると,将来ますます,わが国民の印刷物に対する知識が増して,これを利用することが多くなり,同時に印刷の方法が進み,生産費が低廉になれば,斯業の大いに発展することは疑いない.
およそ活版印刷物は,1. 一般印刷,2. 書籍雑誌印刷,3. 新聞印刷の3種に分つことができるであろう.
一般印刷とは,この2・3を除いて,事務用のものをはじめ,通知,広告,宣伝などの各種印刷物をいうので,普通一般の印刷所は,ほとんどこれを専業のようにしている.
その作業は比較的に余裕がある.
これを数十数百の従業員が,極めて短い一定の時間内に,多数の新聞紙を刷り出す大新聞社にくらべると,その繁閑は,到底同日の談ではない.
大新聞社では内外万般の出来事が,原稿という形をとって激潮のようにすさまじい勢いで,編集室に合流して来る.
この多数の原稿が,筆者の手から編集者に,編集者から活字工に,活字工から校正者に転々し,日夜緊張しきった作業がつづくのである.
新聞事業の発達につれて,各社の競争はますますはげしく,分秒をあらそって,一つでも多くニュースを載せようとする.
自然,その間にいろいろの無理な点ができて,報道する事実の上に,またその内容表現の上に,思わぬ錯誤を生ずるのである.
そこで新聞校正は,現行と校正刷りとを照らしあわせて,活字上の誤りを見出すだけでなく,もし原稿に誤りがあれば,これを確かめた上で正さねばならない.
センチュリー・エンサイクロペディアの言葉を借りていうと,ときとして,「批判的または編集的校正」を必要とするのである.
「新聞記事の重大な要素は,敏速ということである.
毎分といわず,毎秒こそ,新聞社において,最も価値あるものである.
そして,敏速であると同時に,正確でなければならない.
記事作成の理想は,この速度と正確との結合である」.
ジャーナリズムの研究者は,口をひらくと,まずこういう.
敏速と正確,ややもすると背馳しやすい,この2つの要素をどうしてうまく結合させるか,ここに新聞の内容に,それぞれの責任をもつ記者,編集者,校正者の苦心がいるのである.
荷重の最も強くかかるときに,誤謬の最も多いことはいうまでもない.
100パーセントの確実ということは,人間には望まれないことである.
まして,「時間」という無慈悲な神が,いばらの
筆者にしてみると,この逼迫が加われば加わるだけ,執筆の速度が,思考の速度にともなわない.
思わず気があせって,字句や事実を書き違える,書き落とす,二重に書く.
一方,文選や植字係も,これと同じ原因から,活字を拾い違える,組み違える.
どちらにしても,時間の制限に縛られて,いらいらする隙から,いろいろの「誤謬」が忍びこむのである.
そこで,執筆から組版を終わるまで,数ヶ所に「関所」を設けて,一々その仕上げを点検する.
語をかえていうと,時間の不足を,人の周密な配置による警戒線でくい止めようとするもので,わが国の新聞社では,その最後の関所が校正にあたるのである.
殊に,大新聞社のように,深夜作業をするところでは,一般に疲労とともに,注意力が減退して来る.
能率の高い朝などにくらべると,自然,取扱い上の錯誤が多くなるのである.
どこでも工務員は,大抵朝から引きつづいて,小さな活字,まぎれやすい活字を相手に働いている.
そこへ,最終版近くになると,きまって重要なニュースが立てこむので,知らず識らず手落ちができる.
校正係も,ほとんどこれと同じ事情にあるので,不正確になりがちなのである.
新聞記事について,深く考えねばならないことは,誤謬の影響ということである.
「ジャーナリズム」の著者ロー・ワーレン氏はいう.
風説の流布,事実の蒐集,固有名詞の綴字について,極度の注意を払うことは,新聞記者の標語でなければならない. というのは,かれの奉仕する新聞の名声は,かれの手中にあるのであって,不実の記載はもちろんのこと,偶然の誤りさえも新聞の権威をおとし,所有者に金銭上の重大な損害を与えるからである.
また,「新聞編集」の著者,ウィスコンシン大学新聞科講師,グラント・ミルナー・ハイド氏は,つぎのようにいっている.
頭文字や,綴り違えた言葉は,若い編集者にとっては,つまらぬことかも知れないが,かれは,一般読者が,ごく小さい不正確のために,とばっちりを受けた他の記事を信じ難いということを記憶せねばならない. 読者は些細な間違いや,綴字の不統一から,発行所のやり方をだらしなく思い,他の一般記事の真実をも疑うものである.
大きな失策の慎むべきはいうまでもないが,たとい些細な誤りにしても,意外な結果を生ずるもので,この両氏の言は,たしかに読者心理の一面をうがっている.
殊に,新聞事業が異常の発達をしたにもかかわらず,一般にまだ,新聞に対する理解を十分もっていないわが国では,英米両国よりも,より強くこの言が裏書きされるであろう.
およそ活字上の誤りは,普通の読者でも気がつきやすいものである.
そして誤字や誤植があると,読者の注意が他にそれて,内容の力がよわくなる.
ただそれだけでなく,誤りの種類によっては,とんでもない誤解を招くこともある.
教育のある読者は,この上に文法上の錯誤や,意味の曖昧な点を見出して,当惑もすれば,いらいらもするのである.
その結果,何となくその新聞全体の価値を疑うようになるのが,読者心理というものである.
また,事実に関する誤謬についていうと,一般読者の知るところに限りがあるとはいえ,その範囲内においては,それぞれ深い知識もあれば,広い見聞ももっている.
したがって,その知る限りにおいて,紙上に何か間違いがあると,すぐ眼につく.
そして,ある狭い一つの社会の報道から推して,他の広い多くの社会に関する記事まで疑いをさしはさむ傾きがある.
しかし,読者によっては,誤りがあっても気がつかず,正しいものとして受け入れるものもある.
大阪毎日新聞社の例でいうと,読者の大部分は,「毎日宗」といわれるほどに,わが新聞に敬愛と信頼をもち,ほとんど無条件に,すべての報道を是認する.
わが社が一旦紙上にあらわれた誤りを訂正するにやぶさかでないのは,ひっきょう,これらの読者をあやまることを恐れるからである.
また事前において,われらはつねに,一片の校正刷りに対しても,その記事が百数十万の読者にまみえるものであるということを念頭に置いて,寸分の油断なきを期している次第である.
アメリカにおける校正研究の権威者,ダブリュー・エヌ・ピー・リード氏は,先のニューヨーク・トリビューン紙の校正部長で,現にニューヨークの大出版会社マグロー・ヒルにつとめている.
近ごろ,
時計,自動車,機関車,帽子,靴,くだ物などの生産者は,何分の検査をせずに,生産品を顧客に送ることはできない. それと同じく,出版物を厳重に検査監督せず,また,できるだけ,不完全を防止せずに送り出すことは,印刷業者にとって,できないことである. 顧客に引き渡すべき生産物の品質に注意しないことは,他の侵略をこうむり,その販路と営業をあやうくするもといである. だから,自家の名声を博し,または名声を保とうとする個人,商店または会社は,最も厳重な検査を行い,品質を吟味して,十分の確信を得たのちでなくては,その生産品——それがどんな種類のものであろうとも——を決して顧客に送ってはならない.
大阪毎日新聞社長本山彦一氏は,校正をもって織物に対する検査にたとえ,つぎのようにいっている.リード氏の言と符節をあわしたようである.
私はいつもこういうことをいっている,校正は織物の検査をするようなものだと. すなわち,編集者は機を織るその仕あげた織物は,尺が何ほどあるか,し ま 柄がこうなる,模様がこうなるという風に,校正で検査をして,検査が通って,はじめて市場に売り出す. 骨を折って織りあげても,あるいは尺が短い,あるいはまた,し ま 柄が違っているというようなものを,世上に出したらどうであろうか,それは単に記者や編集者の面目,不面目の問題ではない. ただちに新聞社の信用にかかわる問題である. 新聞社の信用を保つためには,一ぺん書き上げたものを検査して,はじめて出す. その検査役が校正の役目である.
第3章「校正者の資格」
校正者の資格について,著者は次のように述べています.
さて,校正者の資格とは,どんなものであろうか,— まず第一に,活字上の知識がゆたかで,どんな微細な点でも見わける「
活字 眼 」というものがいる.第二に,文法の誤りや文意の矛盾などを正す文章上の素養がいる.第三に,文章にあらわれる事実の真偽を断ずる各方面の知識がいる.この三つの要件は,優秀な校正者となるに欠くことのできぬものである.そして,実際にのぞんでは,忍耐力と,こまかな心づかいと,手ぬかりのないことと,仕事に堪能なこととが必要である.それよりもまだ大切なことは,どんな小さなことも,投げやりにしない「忠実」ということである.
「忠実」という点に関連して,同章で後進の育成について次のように述べています.
校正者の養成について,何よりも大事なことは,初心のものに速度を求めてはならぬということである.どんなに早くても,不完全であってはならない.はじめに,ぞんざいで,投げやりな癖がついたら,正しい道に引きもどすことは容易でない.校正は専門の技術である.だから,日々の仕事によって,繰返し練習するうちに熟練して来る.熟練して来れば,自然正確とともに,速度も加わるのである.
「校正の研究」の目次
読書メモ化しておきたいですが,とりあえず目次だけ.
- 校正とは何か
- 今日までの校正
- 校正者の資格
- 校正者の待遇
- 校正の方法
- 四つの校正
- 校正心理
- 原稿の書き方
- 活字と闘う
- 漢字の濫用
- 文章と句読点
- 仮名遣い
- 仮名の誤り
- 数字の誤り
- 同,似音の誤り
- 固有名詞の誤り
- 本社の漢字制限
- 設備と参考図書
- 出版関係法規
- 新聞広告校正
- 校正をどう見る
- 校正者と労働組合
- 校正現状調査
- 漫談